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日本海側で起きる”津波を伴う地震”は到達時間が早いので徒歩で高台に避難するなどが難しい、間に合わないと察したら迷わず垂直避難。鉄筋コンクリートの少なくとも2階または2階以上の建物に避難すること。木造建築じゃ押し流される。それと防波堤、防潮堤は津波を防いでくれるものという認識はしない。高い津波の場合なら軽々乗越えてくる。”避難完了まで少しの猶予を持たしてくれるもの”として認識して。津波による犠牲者が減少することを切に願ってます。
中学2年のテスト中!当時の気象台発表で青森市は震度4!体感的にはもっと揺れていたと感じました…鎖で吊るされた蛍光灯具が右・左と天井にぶつかり合う程…怖かった!
40年前は、青森気象台職員の体感による震度だからね。どう考えでも震度5以上だわ。今なら5強だな。
日本海の津波って、太平洋側と違って、あっという間に来るんですよね。奥尻島の地震も早かった💦
奥尻島の時は、震源が近かった為、『地震発生から数分以内に津波が襲来した』という証言もあります。なので、沿岸で強い揺れを感じたら、躊躇無く安全な高台または頑丈な建物のなるべく高い階へ避難すべきでしょう。
2024年元日 能登半島地震もですね。
私はこの地震経験しました。まだ幼稚園に通って頃でした。その日は風邪を引いていて家にいました。だいたいお昼過ぎかな🤔突然揺れ始め段々揺れが大きくなり家に有る家具や食器棚やテレビなど倒れ必死に逃げました。真っ直ぐ歩けない状態でした。あの日の事は今でも忘れません😱
1:35頃に出てくる『脇元地区』、今は、ちょっとした水遊びや釣りができ、バンガローもある「脇元海辺ふれあいゾーン」があります。当時は寒村みたいだったハズですが、今は観光客も来る様な場所になりました。
こんばんは。地震発生から今年で40年になりましたが、実はこのニュース動画、「2003年5月26日 地震」と検索して見つけたものですが、確かこの日にも大きな地震、あったんですよねえ。
この時、小学校だったなぁ…まぁ、平野の真ん中だから津波はないけど、体育館の灯りがぐわん、ぐわん揺れてたのは覚えてる…
太平洋側は日本の経済に関わる重要拠点が多い.それは理解しています.でも正直な気持ちを綴ると,日本海側も同じ位の整備をお願いして欲しかった.お願いするべくであった.改めて考えさせられる地震でした.
それは不可能だしするべきではない。人口が減るところにはそれに比例した投資しかするべきではないと思われます。
@@nekopinschannel6532 今現在はもちろん全部太平洋側と同じような状況に倣って大規模に整備を必要と言う無理強いな思いにはありませんです.でも負担が大きすぎてと言う気がかりで.
2023年5月で発生から40周年。「風化させない」。
私の母は当時高3で今は廃校になってしまいましたが、当時高台にあった通っていた高校の駐輪場から白波が見えたそうで、今思えばあれは津波だったんだろうなとこの地震の話をするとほぼ毎回言ってます。
この動画・・・3・11の震災に役に立たなかったですね。当時の新聞にもカラー写真で掲載しているにもかかわらず『3・11の犠牲者や被災者には他人事だった』というのが明白です。当時、私も日本海側に住んでいました当時のことは鮮明に覚えています。この震災の後、社会人になり地元を離れたあとに淡路・神戸の震災があり、奥尻沖地震の津波がありました。その2年後です。当時住んでいた町内の防災訓練で、『夜に津波が来たとき、あの小学校の屋上に入っていいですか?、門を壊して避難していいですか?』と聞きました。その時の自治会長の回答はこうです『それは難しいでしょうねぇ、まっ!起きたら起きたで、ということで』起きたら起きたで・・・緊急避難行為もできないってことだねいまでも この言葉は忘れないし、亡くなった人を無駄死にする言葉です。因みに質問した自治会は、焼津市の石津地区です。普段でも台風や低気圧程度でも周辺の道路が潅水するのに・・・・ましてや三陸・・・津波てんでこ 日本海中部地震や奥尻沖地震を教訓にしない三陸ってなんなの?教訓にした自治体は一握り、3・11はもっと防災でき、北東北や北海道の教訓を学ばなかったことには怒りを感じえないし、これから起きるであろう東海地区の危機管理の無さや無能ぶりには呆れる
男鹿で児童13名が犠牲になった合川南小の悲劇は、引率教員の日本海で地震が起きても津波は起きない・大したことないという、正常性バイアスによる人災とも言える。この悲劇の反省・徹底検証を、文部省〜文科省はろくにしなかったことから、28年後にまた東北で引率教員らの正常性バイアスにより、大川小学校の悲劇が繰り返された。誠に愚かなことだと思う。
日本海側で起きる”津波を伴う地震”は到達時間が早いので
徒歩で高台に避難するなどが難しい、間に合わないと察したら迷わず垂直避難。
鉄筋コンクリートの少なくとも2階または2階以上の建物に避難すること。
木造建築じゃ押し流される。
それと防波堤、防潮堤は津波を防いでくれるものという認識はしない。高い津波の場合なら軽々乗越えてくる。
”避難完了まで少しの猶予を持たしてくれるもの”として認識して。
津波による犠牲者が減少することを切に願ってます。
中学2年のテスト中!当時の気象台発表で青森市は震度4!体感的にはもっと揺れていたと感じました…
鎖で吊るされた蛍光灯具が右・左と天井にぶつかり合う程…
怖かった!
40年前は、青森気象台職員の体感による震度だからね。
どう考えでも震度5以上だわ。
今なら5強だな。
日本海の津波って、太平洋側と違って、あっという間に来るんですよね。奥尻島の地震も早かった💦
奥尻島の時は、震源が近かった為、『地震発生から数分以内に津波が襲来した』という証言もあります。なので、沿岸で強い揺れを感じたら、躊躇無く安全な高台または頑丈な建物のなるべく高い階へ避難すべきでしょう。
2024年元日 能登半島地震もですね。
私はこの地震経験しました。まだ幼稚園に通って頃でした。その日は風邪を引いていて家にいました。だいたいお昼過ぎかな🤔突然揺れ始め段々揺れが大きくなり家に有る家具や食器棚やテレビなど倒れ必死に逃げました。真っ直ぐ歩けない状態でした。あの日の事は今でも忘れません😱
1:35頃に出てくる『脇元地区』、今は、ちょっとした水遊びや釣りができ、バンガローもある「脇元海辺ふれあいゾーン」があります。当時は寒村みたいだったハズですが、今は観光客も来る様な場所になりました。
こんばんは。地震発生から今年で40年になりましたが、実はこのニュース動画、「2003年5月26日 地震」と検索して見つけたものですが、確かこの日にも大きな地震、あったんですよねえ。
この時、小学校だったなぁ…
まぁ、平野の真ん中だから津波はないけど、体育館の灯りがぐわん、ぐわん揺れてたのは覚えてる…
太平洋側は日本の経済に関わる重要拠点が多い.それは理解しています.でも正直な気持ちを綴ると,日本海側も同じ位の整備をお願いして欲しかった.お願いするべくであった.改めて考えさせられる地震でした.
それは不可能だしするべきではない。人口が減るところにはそれに比例した投資しかするべきではないと思われます。
@@nekopinschannel6532
今現在はもちろん全部太平洋側と同じような
状況に倣って大規模に整備を必要と言う無理
強いな思いにはありませんです.
でも負担が大きすぎてと言う気がかりで.
2023年5月で発生から40周年。
「風化させない」。
私の母は当時高3で今は廃校になってしまいましたが、当時高台にあった通っていた高校の駐輪場から白波が見えたそうで、今思えばあれは津波だったんだろうなとこの地震の話をするとほぼ毎回言ってます。
この動画・・・
3・11の震災に役に立たなかったですね。
当時の新聞にもカラー写真で掲載しているにもかかわらず
『3・11の犠牲者や被災者には他人事だった』というのが明白です。
当時、私も日本海側に住んでいました
当時のことは鮮明に覚えています。
この震災の後、社会人になり地元を離れたあとに淡路・神戸の震災があり、奥尻沖地震の津波がありました。
その2年後です。当時住んでいた町内の防災訓練で、
『夜に津波が来たとき、あの小学校の屋上に入っていいですか?、門を壊して避難していいですか?』と聞きました。
その時の自治会長の回答はこうです
『それは難しいでしょうねぇ、まっ!起きたら起きたで、ということで』
起きたら起きたで・・・
緊急避難行為もできないってことだね
いまでも この言葉は忘れないし、亡くなった人を無駄死にする言葉です。
因みに質問した自治会は、焼津市の石津地区です。
普段でも台風や低気圧程度でも周辺の道路が潅水するのに・・・・
ましてや三陸・・・
津波てんでこ 日本海中部地震や奥尻沖地震を教訓にしない三陸ってなんなの?
教訓にした自治体は一握り、
3・11はもっと防災でき、北東北や北海道の教訓を学ばなかったことには怒りを感じえないし、
これから起きるであろう東海地区の危機管理の無さや無能ぶりには呆れる
男鹿で児童13名が犠牲になった合川南小の悲劇は、引率教員の日本海で地震が起きても津波は起きない・大したことないという、正常性バイアスによる人災とも言える。
この悲劇の反省・徹底検証を、文部省〜文科省はろくにしなかったことから、28年後にまた東北で引率教員らの正常性バイアスにより、大川小学校の悲劇が繰り返された。
誠に愚かなことだと思う。
2023年5月で発生から40周年。
「風化させない」。